Oさんが死んだ

Oさんが死んだ。

その知らせが届いたとき、涙が止まらなくなった。

きょうは、Oさんのことを書いていこうと思う。

 

Oさんとの出会い

私が、Oさんとはじめて出会ったのは、

私が病気リハビリ中のこと。

社会復帰を目指していた私は、リハビリの一環として

知人の建築会社の仕事場に、ときどきお邪魔させてもらっていた。

❝見学❞という形。家に閉じこもらず、たまには外の空気を吸うためだ。

その建築会社の協力会社で、塗装の仕事の親方をしていたのがOさんだった。

 

Oさんと私

Oさんは白髪がちで、小太りで、仕事熱心で、そしてよく笑うひとだった。

その頃の私はというと、ひっそりと隅で小さく息を殺しているような感じで、

人の後ろへ後ろへ隠れるようにしていた。

そんな私のところに、Oさんはわざわざ来て、私の顔をのぞいて

必ずあいさつをしてくれるのだった。

「よう、にゃん吉さん、元気?」

「ちゃんと食べてるの?」

「元気してるの?」

Oさんとのやりとりは、あいさつくらいしかなかったが、

そのころの私にわざわざあいさつをしてくれる人はOさんしかいなかった。

 

わたしは最初かなりドギマギしていた

Oさんへの返事は「はい。」のみ。

こころのなかでは、こう思っていた。

「やだな~。ほっといてくれればいいのに」

「またきたよ。来なくていいのに」

「やばい、またみつかった」

 

私はOさんを避けていた。

Oさんの屈託のない、誰にでも平等に注ぐ笑顔が眩しすぎたのかもしれない。

いま思えば愛想のなさすぎる私であった。

しかし当時はどうしていいかわからなかった。

 

私は病気が治って、でもまだまともに仕事ができないとき、

その建築会社でときどき仕事をさせてもらっていた。

体調のよい時だけ働かせてもらえた。

 

そのうち、Oさんの現場での軽作業に呼ばれたり、

私が請け負った、ごく小さな現場にOさんが手伝いに来てくれるようになった。

 

Oさんは私が何も言わなくても、その現場で一番大変で、一番危険な仕事をさりげなくやってくれた。

黙々といつのまにか仕事を終わらせている。

そういう人だった。

そして、現場の休憩時間には抜群の笑顔で話してくれた。

フィリピン人の奥さんのこと。

奥さんがコンビニの弁当工場で働いていて、いつも苦労をかけて悪いと思っている話し。

いつか苦労かけた奥さんを旅行に連れてって、サプライズで喜ばせたいという話し。

 

その頃、ときどき腰痛に悩まされていたOさんだったけれど、

その腰痛の原因が体の内部の病気だったってことは、医者も誰も気づかなかった。

気づいた時には、もう末期の状態で、

Oさんは病院に入院してたった1か月でこの世を去った。

 

私が病院にお見舞いに行った時にはまだ入院して2週間だったが、

モルヒネの影響で、私が誰かもわからなくなってしまったOさん。

さびしくて涙が出そうになったけれど、こらえて私はとびきりの笑顔をキメた。

そして、Oさんのフィリピン人の奥さんに、

Oさんが話してくれた奥さんへの思いを全部まるごと伝えた。

奥さんは泣きながら聞いてくれた。

「あのひと。ぜんぜん言ってくれなかったそんなこと」

「そんな風に思っていてくれたんだね、私のこと」

 

Oさんが最期に教えてくれたこと。

おっせっかいでも、いつわりでもいいから

自分以外の人に笑顔で話しをすること。

これ大事。

いつも一定で笑顔で人にあいさつすること。

これ大事。

Oさんだって、人生いろいろあった。

でも外に出す自分はいつも笑顔って、きっと自分で決めていたのだと思う。

 

Oさんありがとう!

私の心の中のOさんの笑顔は、今でもダントツの1位です!!

ゴーゴーにゃん吉

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